たまには、つれづれと
最近、人間の嫌な部分が目に付くようになってきた。
多分、そうするだけの余裕が出てきたんだろうと思うけれども。
やれやれです。
大抵の人が気持ちを発散できなくて、モヤモヤとした気持ちを抱えて過ごすのだけれども。
一部の層はこうやって何かしらの形にして吐き出すことでストレスを発散するのです。
ある種のオナニーとも言います。
そういう人たちは俺のように心の中に何かしらの理想を抱えているんだと思う。
こうあって欲しいだとか、こうあるべきだとか。
自分の思うどうりに世界があって欲しい。
だから、理想を抱えて溺死する。
自分の心の中を表に出したい人たちは、自分で抱きしめているだけでは物足りないから、何かしらの形で外に吐き出そうとします。
それがいわゆる酒の力であったり、文字の力であったり、歌の力であったりするわけですけれども。
自己愛が強い、そう書いてもいい。
自分が大切なんですよ、皆。
そうして自分を傷つけたくない。
傷つけなくなくて、尚且つ他人に自分を理解して欲しい。
だから、だから何かしらの塊にして外に吐き出します。
固有結界。
最近はそういう便利な言葉が出来ました。
自分の世界の、具現化。
無限の剣製。
昔はそういう概念がなかったから、あらゆる形で自分を表現しようとしました。
それが、宗教であり、絵画であり、彫刻であり。
今に残るありとあらゆる『作品』達なのでしょう。
自分の思いを形にしたい、そうして理解して欲しい。
理解、してほしい。
わかって欲しいんだ、この想いを。
けれども、そんな簡単にこの世界は出来ていない。
だから、古人達は様々な形で、表現しようと努力した。
……明治やら、昭和の文豪が自殺している。
それの良し悪しについてはどうこう言いたくないし、言う事も出来ない。
けれども多分、彼らは、自分の中の世界を全力で抱きしめて。
溺れて死んでしまったんだと思う。
希望を抱いて溺死してしまったんだと思う。
太宰さんとか、三島さんとか、芥川さんとか。
思いが強すぎると、自分ではどうしようも出来なくなる。
それは仕方のないことなのだろうと思う。
だってそうじゃない、誰でも自分の胸の中に起こった気持ちは正しいと信じたいじゃない、
例えそれが、常識的に考えて、間違ったモノだとしても。