心には振り子がある。
年末の最繁期になったので、古巣に帰ることができた。
一番の古巣に。
最初の職場へ。
最初はつらくて辛くてたまらなかった職場へ。
このブログを開始すらしていない、ある意味の俺の原点。
ああ、あの頃は、仕事が終わっても体がもたなくて毎日三十分休憩して家に帰っていたっけ。
……そんな場所だった。
……多分、ここから始まった。
……全てはここから始まった。
――全ての起点、俺の色々とあった社会人人生の本当の始まり。
キモオタニートのスタート地点。
そんな場所、そんな場所で今働いている。
……思い返すと、色々なことがあった、本当に色々な事が。
……詳細は省略しよう。
人は、色々な事を考える。
そうして色々な事を思う。
だから色々な行動をして。
自分の気持ちを形にしたがる。
色々な形で。
言葉で、行動で、歌で、気持ちで、絵で、動きで、なんややらで。
……多分、心には振り子がある。
ゆっくりと、右と左に揺れ続ける、目に見えない振り子が。
縦と前後、360度より広く、ある程度の空間を自由に動ける振り子が。
地球時計?よくわからないがそれかもしれない。
それがやっと、一定のリズムで動き始めた気がする。
俺にとっての最適のリズムで。
俺の時が、俺の中の時計が初めて動き始めた、自分で自分のゼンマイを巻いたその場所で。
巻きますか、巻きませんか。
何処かで、聞いた言葉。
だから、俺は何度でもゼンマイを巻こう。
自分自身のために、自分自身のゼンマイを。
少しでも、先に進むために。
歩くのを止めてしまっては、あの時、あの場所ですべてに絶望した意味がなくなってしまうから。
パンドラの箱の底には、あの時、確かに希望があったから。
言葉には意味がある。
それはとてもとても当たり前の事。
そうして、裏に意味があるというのも極々最近理解できた。
文字だけの情報には限度がある。
結局は一時限的なものなのだろう。
誰が何をどの時間帯でどのように言ったか。
英語のなにがしによく似ているが、
多分この方程式に当てはめて考えてみると、よく、理解ができるものがいくらでもあるのだろう。
さらに細分化して、言葉の背景をより深く考察することもできるがあまりお勧めはしない。何故ならばあまり意味がないから。
つらつらつらと、情報整理終了?
後は形に出すだけだ。