また何かが生まれ変わった気がする
比喩的な意味で。
世間一般の方々はお盆だ。
だが私にはそんなモノなどなかった。
最初はそのことが不満で尚且つキャパがギリギリだったので不安定だったが、終わってみたらいつも通りすっきりしている、明日また好きに一人で過ごしたら、元に戻る事だろう。
気が付いたらトーク力が身についていた。
聞く方も話す方も。
意識しないと無理だし、まだ頭が疲れるから頻繁にはしたくないが。
初対面だろうが、ある程度付き合いが長かろうが、会話の糸口を引っ張り出して苦労なく会話できる技術がある程度身に付いた。
仕事だろうが、プライベートだろうが使える技術。
脳内の情報整理と、物理言語化が行われていないので話す方はまだ時間がかかるが、相手の言葉に対応する言葉をリンクさせて発話することに不自由を感じなくなってきた気がする。
つまるところ、自然と言葉が出るようになってきた、昔から文章に触れて文字の意味の反復理解を繰り返してきた成果だろう。
実地訓練の回数もバカにはできないが。
話すのが先か、聞くのが先か。
乳児幼児の言語の習得順序から考えて、聞くのが先である、話すことは後だ。
音声に意味があることを正確に理解し、反応する。
その行為を正しく行えるようになった後に改めて、自分の音声に意味と価値を付随させる事が出来るのだろう。
まあ、仕方がない、おいおい出来るようになればいい。
人間の行動と、時間には限界がある。
一人の人間に出来ることはいくら優秀な人間だといっても限界があるのだ。
効率。
考え始めるとキリがないが、ある程度必要な事のように思う。
仕事の順序、優先順位、必要か不必要か。
一日は二十四時間だし、食事の回数は三回が望ましいし、摂取カロリーも考えた方が健康的だ。
慣れているかどうかと、好みかどうかでまたそれは変わってくる。
行動には限界があるし、時間も有限、そう考えると取る行動も選んだ方が望ましい。
限られた時の中でどれだけの事が出来るのだろう。
何となく思い出した歌詞。
そういやこんな歌あったなあ、と少しだけ頭の隅をかすめた。
多分こういう事の繰り返し。
オタだろうがリア充だろうが、やっていることは基本的に同じ。
違うことは、使っている情報が違うだけ。
歌の種類だったり、ドラマか映画かアニメか漫画か。
基本的な表現をする媒体が違うだけでしかない。
おそらくはそれだけの差しかないのだ。
きっと、そうだろうと思いたい。