適当に随筆

日々の生活で思ったことを適当に書いていきます。

自分の形

自分の形は自分で作るものだ。

去年にも似たような事を書いたが何故か再度書きたくなったので書く。

 

自分の行動の積み重ねが自分を形作っている。

そういうものだ。

昨日の自分の行動が、一昨日の自分の行動が自分を作っている。

 

昨日読んだ漫画が、昨日見たドラマが、昨日見たニュースが自分を作っている。

昨日朝に食べたパンと牛乳が、お昼に食べたランチセットが、夜に食べた唐揚げとフライドポテトとシーザーサラダと焼き鳥五点盛としめ鯖とビール四杯が自分を作っているのだ。

中でも特にしめ鯖が旨かった。

 

これは多分皆、何も意識しないで行っている行為だと思う。

けれども意識して行っている人間も結構な人数いる。

 

普段の言動、歩き方、しぐさ、笑い方。

ありとあらゆる情報で人間は構成されている。

 

表情の話だと、生き方に苦悶が多い生き方だと眉間にしわが寄るし、

笑いが多い生活を送っていると次第に口角が上がってくる、表情筋が自然と鍛えられるからだ。

 

先週やった草野球も、先月走ったマラソン大会も、全部が全部行動の積み重ねという奴である。

 

辛いときに辛いと言えたらいいのは、彼らがきっと辛いと普段から言っていないからなのだろう。

溜息をつくと幸せが逃げるというのも、その延長線上の話だ。

 

全ての行動の積み重ねの上に、現在の自分が立っている。

身長、体重、体系、性格、趣味から仕事に至るまで。

 

もちろん、人間関係諸々含めて。

 

人間は一人だけでは生きていない。

何故なら一人で生まれてきたわけじゃないからだ。

 

 

 

人間の行動には自分の為だけの行動と誰かの為の行動の二種類がある。

 

終電で駅に着き、自宅近くの最寄りのフランチャイズコンビニで並んでいる半額になったお弁当を、死んだような目で選んでいるサラリーマン。

 

夕方六時ごろに近所のスーパーで「今晩、何にしようかなぁ」とお財布の中身と晩御飯のメニューに頭を悩ませながら空のカゴをぶら下げて買い物を楽しんで?いる主婦。

 

前者は自身が生きながらえる為の行為だし、後者は家族の為の行動である。

 

コンテンツの消費もそうだ。

話題の映画、話題の小説、話題のドラマ、話題のアニメ。

物語としてはそれほど褒められた内容でなかったとしても、そのコンテンツを消費することでその話題を使っている会話に入る事が出来る。

会話に入る気さえあればだが。

 

過去の名作は確かに面白いかもしれないが、過去の名作を読んだ人間にしかお話が通用しない。

オマージュやパロディで使われているんだよ、という方向で説明することも可能だが、総合的には話題の使用者の話術のレベルの問題である。

 

全ては密接に関わっている様で、密接に関わっていない。

 

不思議な関係。

 

まあ、なんだってそんなもんだ。

 

それはそうと、と話題は飛ぶが。

最近、感覚がまた変わった。

行動に意識や主体性が表れ始めた。

今までは余りなかったのに、何となくで済んでいたのに。

どうしたいからどうするという方向性が生まれ始めた。

少なくとも仕事では。

行動力というか、意志力?が付いてきた気がする。

 

なんだろうねえ、良く分からないけれども。

 

まあまあ悪いことじゃないので、自分の変化には喜びをもって受け入れよう。

 

ではでは。