適当に随筆

日々の生活で思ったことを適当に書いていきます。

頭の中の整理整頓

整理整頓している、頭の中を。

ひたすら片付け、ひたすら整理し、ひたすらカテゴライズを続けている。

アレは、ナニだから、ドウするんですよ。

そのような情報をひたすら適材適所に配置している。

 

大分片付いて来た。

大昔から抱えてきた各種ごちゃごちゃも全部ひっくるめて、細分化し、裁断化しパッチワーク宜しく収まりと感じのいいように再配置。

暫くそれに、パフォーマンスのほぼ全てを使用していた。

 

レベルは一気に上がらない。

何故ならば一足飛びに物事を理解することは不可能だからだ。

全てには階段のような段階が存在する。

そこを経過して、通過して、理解して初めて、その段階まで到達した事になる。

ただ、経験を貯め込むことは可能なのだ。

知識や感覚として。

実際の経験が共わなければレベルは上がらないからだ。

 

物語で誰かの体験談を読んだとしよう、とても奥深く真実味にあふれた物語。

まるで誰かの人生を追体験したかのような感覚。

 

結局、知識や感覚だけでしかない。

 

経験ではないからだ。

 

知識や感覚は経験しなければあくまでも知識や感覚のまま終わってしまう。

 

おそらく、きっとそれはそうなんじゃないのかと。

 

推測のまま、思考の海の中で揺蕩うまま。まるで霞がかかったかのようにほんのりとぼやけたままの景色でしかなくなる。

 

経験とはその霞を取っ払ってくれるものなのだと思う。

 

人間にはそのような機能が存在している。

 

類推機能。

 

そうじゃないかなあ。

そんな感じのモノ。

 

そしてその類推機能は、知っているモノにしか作用しない。

存在を知らないと応用が利かせられないように。

 

知るというものは、とても大切な事だ。

知識の蓄積。

人間は知らなければ話すことも、自分の意志を誰かに伝えることも出来ないのだから。

 

経験というのも、とても大切な事だ。

自分が今まで体験してきた事。

経験が無ければ、何をすればどうなるか、ひとかけらすらも分からないからだ。

 

その二つを持って人間は生命活動を行っている。

 

最近、その二つのバランスが丁度宜しくなってきた気がする。

蓄積しすぎてきた知識がいい感じに経験に変化している感じがする。

まあ、感覚の問題ですが。

 

恐らくは両立が必要なのだ。

バランス。

 

知識だけだと頭でっかちだし。

経験だけだと、まあ、どこのヤンキーだし。

 

知識といっても、お勉強だけではなくすべてに対しての知識が必要なのだ。

経験といっても、経験するべき必要な経験に限られるのだけれども。

 

世界の深さは知った。

世界の高さもある程度は知った。

世界の広さはお勉強中です。

 

中々、いい感じになって来たんじゃないかなと思います。

 

まあ、感覚の問題ですけれども。(笑)