適当に随筆

日々の生活で思ったことを適当に書いていきます。

先の見えない闇の中

連続的成長の終わりが見え始めた。

一年ほど前、仕事上のストレスが原因で適応障害と診断されてからほぼずっと休んでいる。

仕事の忙しさと、プライベートのずぼらさからずっと荒れっぱなしの状態だった部屋の中も比較的整い始めた。

現在からみたとしても、過酷な内容の職務経験を自分のモノへとするする行為。

一年休んで大分、使えるようになった。

 

家庭の事情で小5の頃から鬱だった。

それが俺の基本的なステータス。

その状態でずっと生きてきたから、本来の自分の状態がどの様なものかも分かっていない。

大分、寛解したと判断していいだろう。

本当の自分の状態。

それがよくわからない。

 

自分のスペック。

 

もしも、小5の頃、うつ病にならなかったら、どんな人生歩いてるんだろう?

そんなことを考えたとしても意味はないが何となく思ってしまう。

 

本当の自分、鬱ではない、本来の姿。

 

自分の行く先が分からなくなってきた。

今の会社のビジネスが有効打を選んでないことが手に取るように分かってきた。

 

ここから先、どのように進めばいいのか。

 

今までのように会社の指示に従って、歩く先を考えずに進んでいても、効率が悪くなるという事実を、認識してしまっている。

 

状態のよくなった自分の体を乗りこなしながら、選ぶことが出来る選択肢の最善を選んで先に進んでいく。

画面の中で何百、何千、何万と繰り返してきたお馴染みの行為。

現実世界でその行為は、ゲームのパッケージを雑誌のレビューを参考に選び取るぐらいしかしていなかった。

 

先が見えない、一寸先は闇。

 

先に進むことが怖い訳ではない。

見通しが立ちにくくなってきている。

広がり続ける可能性が恐ろしくなってきた。

 

大学卒業の頃、特に何も努力しらしい努力をしていなかった頃、

とてもとても無力だった、頑張っていなかったから何もできなかった。

 

今、会社の指示に従いひたすら働いた、無謀なことや、意味のないことも沢山行った。

仕事の資料も、取引先に分かりやすく理解してもらうための報告書、色々作った。

やったら出来た。大体のことは何とかなった。

多分大体がそんなものだろうと、理解した。

 

だから。

 

自分の足で、自分の行きたい所に行ける、それがうれしい。

そして、恐ろしい。

外に広がる何かが。

あまりアウトドアなタイプじゃないのもあるが。

これから先、自分がどうなってしまうのだろうかと。

 

恐らく、どこかのタイミングで非連続成長に切り替わり、行動自体が変わるはず。

今までの行為はただのうつ病に対する治癒行為。

ざっくりとした目的はある。

ただ、その目的地にたどり着くための道を選ぶのは自分自身だと理解はしている。

どの道を選んで歩いていけばどの目的地にたどり着けるのか。

その道を選ぶことが、楽しくも恐ろしい、リアルで選択肢を選ぶとロードができない点が嫌なんだなあ(笑)と自分の中の感情に気が付いた。

 

それでも、それでも先に進むしかない。

 

この道の先に何があるのか、一年後の俺はどうなっているのか。

恐ろしくも、楽しみだ。

わんわんという概念

わんわんである。

 

……非常に頭が悪い文章だ。

 

こんな文章を書こうと思ったことにはもちろん理由がある。

ネットに落っこちていた論文に、ワンワンというものについて書かれていたものがあって非常に感銘を受けたのでその概念を理解したことの証明のために、再度自分で構築してみようと思う。

 

ワンワンとはわんわんである。

 

……つまり。

 

 

 

ーー犬だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

溜めた意味は特にない、

 

 

 

ーーーーーー溜めたかったからだ。

 

 

 

 

 

ワンワンという文字にはもちろん意味がある、先ほど申し上げた通り犬である。

 

犬。

 

詰まるところわんわんは犬という名の意味を持ち合わせた文字記号である。

 

それでは何故、わんわんは犬という意味を持ち合わせた文字記号になりえたのであろうか。

 

誰でもわかると思うが、犬の鳴き声からである。

 

わんわん。

 

世間一般的な犬の鳴き方。

 

それを含めた、対赤ちゃん用の犬の呼び方。

 

要するにそれがわんわんである。

 

わんわん。

 

犬。

 

犬種でも、血統でもなく、犬、に対する相応の意味を持った表現。

 

今でこそ、犬に対して、トイプードルであるとか、シベリアンハスキーだとか犬種をもって判断して。

 

誰それさんちの、ゴールデンレトリバーの、さくらちゃん。

 

という理解に達するが、

 

一言でいうと、わんわんである。

 

わんちゃんでもある。

 

大概の場合、わんわんに対して、わんわんと表現しなくなる理由は何であろうか。

 

多分、なんとなくダサいからであると思う。

 

大の大人が、赤ちゃん相手でもなく、日常遣いの言葉としてわんわん相手に、わんわん言ってたら非常に様にならない。

 

その為に、世間一般のわんわん達には犬という名の種族名が与えられ、血統ごとに種類名で分別され(雑種も含めて)、わんわんではなく、秋田犬になった。

 

それがこの世の中のわんわんたちの真の姿なのだ。

 

わんわん。

 

にゃーにゃーも含めて。

 

ぶーぶーも同様。

 

恐らくこけっこっこーは長いから略されないでいる。

 

ウサギは基本的に鳴かないらしいので省略。

 

デッデー・ポッポッポーは概念として理解しずらい。

 

詰まるところ、わんわんは、

 

ーーー即ち。

 

わんわんの事である。

やりたいこと、目的、方向性

成長したかった、見分を広げたかった。

 

かった。

 

過去形。

 

目的意識。

 

何がしたいのか。

 

私は何がしたいのか。

 

私は何がしたいですか。

 

仕事をしたい。

 

価値のある仕事がしたい。

 

否、価値の高い仕事がしたい?

 

否、関わるモノの全ての価値が高くなるような仕事がしたい。

 

自分も、相手も。

 

例えば、それはセンスの問題だったり、モノの見方の問題だったりする。

いいものを作るためには、いわゆるいいものを大量に消費、使用しなければ

なにが「いいもの」なのかがわからない。

 

使用頻度の問題ではなく、質の問題。

 

その為には、専門性の高さが必要。

 

専門性、奥深さ。

 

その先には、何がある、探せ。

 

そういうものを探せ。

 

 

 

 

RPGの装備的な思考について

RPGをある程度進めてお金がたまった。

序盤から、中盤に入るかな、ぐらいの時期。

 

割と大きなお城に入ると、武器防具屋の新装備のラインナップはこんな感じになる。

 

はがねのつるぎ

てつのよろい

てつのたて

やいばのブーメラン

 

 

さて、あなたは何を買う?

 

多分、はがねのつるぎか、てつのよろいに、なるのだろうか。

コスパ考える方だと人数分買える、てつのたてになるのだろうか。

コマンド選択式のRPGに慣れていて、時間効率でザコをボコりたい人だとやいばのブーメランになるかもしれない。

 

二週目プレイに突入していて、次のダンジョンの宝箱配置を気にしている人だと

次の洞窟ではがねのつるぎが拾えるのが分かっているから買わない。

更に先を気にしていると、ここで装備に投資すると効率悪い、はじゃのつるぎまで拾い物オンリーで行く、となるかもしれない。

実は二週目装備引継ぎプレイで、最強装備の全体攻撃の二回攻撃的なソレを引き継いでいるから今回のプレイでは武器を買う必要は無いかもしれない。

 

プレイヤーとしての経験値の差?

ということになるのだろうか。

好みという部分もある程度あるとは思うが。

 

自然とやってた事だからあんまり考えなかったけれども、なんていう名称なんだろうねコレ。

効率よく進める?

 

うまく生きるためのコツ?

ああ、そうかライフハック使って生産性=プレイ時間削減=効率よくプレイ

するようになったのか。

メタルスライムライフハックなんだ。

宝箱の配置もライフハック

そして、それがそのままアフォーダンス

 

同じことを繰り返すことにあたって、メタルスライムアフォーダンスライフハック

宝箱の配置はライフハック

効率プレイというのはそういう事。

 

効率って何だろうね?

夏のアイス

今日は、少し昔の話をしよう。

 

暑い夏の日。

母親に「アイス買ってきて」という事があったとしよう。

私はガリガリ君が食べたかった。

無性に食べたかった。

だから親に「アイス買ってきて」と言った。

暫く後に、スーパーから戻ってきた母はアイスを買ってきてくれた。

ハーゲンダッツだった。

ガリガリ君を食べたかった私は母に文句を言った。

「これが食べたいんじゃない」と。

「買って来てやったんだから文句言わないで食べなさい」母は言う。

暫くごねて、冷凍庫に入れて、不貞腐れてから三十分後。

仕方ないので、食べた人生初のハーゲンダッツは超絶美味かった。

 

今回はそういうお話。

 

誰かの為に何かをした事が誰しもあると思う。

例えば電車の優先席に座らなかったり、電車の優先席に席を譲る為に座ったり、電車の優先席にいつも座っている学生に「アンタ元気なんだから座ってんじゃないわよ」と言ったり。

今日の俺は電車の優先席に文句があるんじゃありません、使いやすいから使っているんです。

因みに俺は優先席には座らない派です(苦笑)

 

自分本位か。

相手本位か。

自分を考えた上での相手本位か。

相手を考えた上での自分本位か。

自分を考えた上での自分本位か。

相手を考えた上での相手本位か。

パターンはいくらでもある。

 

最初の話は、自分を考えた上での自分本位。

お互いに。

自分がハーゲンダッツを食べたいと思った、だからハーゲンダッツを買った。

子供はアイスが食べたいと言った、だからアイスを買った。

ガリガリ君を食べたいなら最初からそう言えばいい。

そういう問題じゃないが、似たようなことはいくらでも起こる。

 

映画が趣味です。

漫画が好きです。

音楽が好きです。

 

そうですか映画が趣味なんですか、じゃあ今度見に行きませんか?

いいですね、行きましょう。

後日、映画館で実際に見ることになったのは公開初日の「デビルマン」だった。

多分二人はよほどの事が無ければ二度と逢う事は無いだろう。

妙な趣味でも持ってなければ。

 

これはちょっと意味が違う。

 

相手に対する深堀り。

何をどこまで求めているか。

自分の意志だけではなく、相手の意志の為に、良好な関係を築くために。

その着地点をすれ違い続けると関係は壊れることになる。

 

例えば、ガリガリ君が食べたいのにハーゲンダッツを買ってきたりだとか。

ジャンプ読みたいのにマガジンだったとか。

コロコロなのなにボンボンだったとか。

FFなのにDQだったとか。

PSなのにSSだったりとか。

フシギダネなのにリザードンだったりとか。

そういう問題。

 

自分がしたいことと、相手がしたいことのすり合わせ。

 

自分がしたいことと、相手がしたいことは違う事が大概にして多い。

それを無理やり強制すると、関係が破綻するのは当たり前のことである。

 

幸せの形は一つではないし、膨大な数の幸せの結果がある。

 

求めてるものと違う答えを提示されると人間は一概にして嫌になる。

当たり前だが。

 

例えば、そう例えば。

 

自分が悪者になるのが嫌だったりとか。

 

無理やり悪者になるように強制しようとしたりだとか。

 

残念な婚活パーティに無理やり行かせて謝りもしなかったりとか。

 

人の努力の結果を、確認しもしないで踏みにじったりだとか。

 

人の幸せを壊そうとしたりだとか。

 

大抵が必要以上に欲を出そうとするとそうなる、そうなるように出来ている。

 

苦しい思いをするようになる。

 

先手か、後手か。

 

バランスは悪いがそういうものだ。

 

もしくは無理やり流れを作ってそういう風に流そうとするか。

 

これが一番お勧めしない。

 

何故なら肉体的な痛みが伴うからだ。

 

時間も金も、積み上げてきたものが全て流れていく事になる。

 

全ては全て、時間は時間。

 

時間は有限、お金も有限、知識も有限、体験も有限。

 

痛みや苦しみに時間を投資する価値があるか、理論する時間は必要か。

 

一度だけで充分だ。

 

結果が見えているなら、最初からやらなければいいのに。

 

結論として。

子供は、お母さんがお買い物に行く前に、買って来て欲しいアイスの商品名を伝えるようにして下さい。

お母さんは、何のアイスを買ってくればいいのか聞いて下さい。

それだけのお話です。

 

プライベートでも、仕事でも。

友人関係でも、見知らぬ他人にも。

敬意と論理。

いらない二度手間、要りませんから。

 

以上、取り急ぎお伝え致します。

お忙しいところ申し訳御座いませんが、ご確認頂けると幸いです。

 

みたいな(笑)

頭の中の整理整頓

整理整頓している、頭の中を。

ひたすら片付け、ひたすら整理し、ひたすらカテゴライズを続けている。

アレは、ナニだから、ドウするんですよ。

そのような情報をひたすら適材適所に配置している。

 

大分片付いて来た。

大昔から抱えてきた各種ごちゃごちゃも全部ひっくるめて、細分化し、裁断化しパッチワーク宜しく収まりと感じのいいように再配置。

暫くそれに、パフォーマンスのほぼ全てを使用していた。

 

レベルは一気に上がらない。

何故ならば一足飛びに物事を理解することは不可能だからだ。

全てには階段のような段階が存在する。

そこを経過して、通過して、理解して初めて、その段階まで到達した事になる。

ただ、経験を貯め込むことは可能なのだ。

知識や感覚として。

実際の経験が共わなければレベルは上がらないからだ。

 

物語で誰かの体験談を読んだとしよう、とても奥深く真実味にあふれた物語。

まるで誰かの人生を追体験したかのような感覚。

 

結局、知識や感覚だけでしかない。

 

経験ではないからだ。

 

知識や感覚は経験しなければあくまでも知識や感覚のまま終わってしまう。

 

おそらく、きっとそれはそうなんじゃないのかと。

 

推測のまま、思考の海の中で揺蕩うまま。まるで霞がかかったかのようにほんのりとぼやけたままの景色でしかなくなる。

 

経験とはその霞を取っ払ってくれるものなのだと思う。

 

人間にはそのような機能が存在している。

 

類推機能。

 

そうじゃないかなあ。

そんな感じのモノ。

 

そしてその類推機能は、知っているモノにしか作用しない。

存在を知らないと応用が利かせられないように。

 

知るというものは、とても大切な事だ。

知識の蓄積。

人間は知らなければ話すことも、自分の意志を誰かに伝えることも出来ないのだから。

 

経験というのも、とても大切な事だ。

自分が今まで体験してきた事。

経験が無ければ、何をすればどうなるか、ひとかけらすらも分からないからだ。

 

その二つを持って人間は生命活動を行っている。

 

最近、その二つのバランスが丁度宜しくなってきた気がする。

蓄積しすぎてきた知識がいい感じに経験に変化している感じがする。

まあ、感覚の問題ですが。

 

恐らくは両立が必要なのだ。

バランス。

 

知識だけだと頭でっかちだし。

経験だけだと、まあ、どこのヤンキーだし。

 

知識といっても、お勉強だけではなくすべてに対しての知識が必要なのだ。

経験といっても、経験するべき必要な経験に限られるのだけれども。

 

世界の深さは知った。

世界の高さもある程度は知った。

世界の広さはお勉強中です。

 

中々、いい感じになって来たんじゃないかなと思います。

 

まあ、感覚の問題ですけれども。(笑)

ちゃんとする。

 激務が終わった。

 

今の会社に入ってから、時折発生する激務。

年に1.2回はある。

終わるとなぜか無意味に成長した気分になるのがこの激務の特長だ。

 

多分、恐らくはしているのだろうし。

 

今回の激務はいつもの激務とはランクが違った。

 

いつもの激務は、まあ忙しいだけの激務なのだが、

今回は「ちゃんとしなきゃいけない」激務だった。

まあ、働く場所が場所なので、ものすごくちゃんとしていなきゃいけなかった。

 

少なくとも、働いている間は可能な限りちゃんとしていたと思う。

 

背筋伸ばして、綺麗な言葉使いで、可能な限り親切に。

 

今までの俺の人生の中で、あれほどちゃんとしていた自分は存在していないだろう。

そう言い切れるほどにちゃんとしていた。

そう確実に言い切れるだろう。

 

激務が終わったと同時に自分も「ちゃんと」出来るんだ、とそう思った。

今までも、社会人としてはある程度はちゃんとしていたと思うが、ちゃんとのクラスが段違いだった。

 

正直、空気が違うので立ってるだけで気を張らなきゃいけないので物凄く気が疲れた。

廻りが全部知らないことだらけだったので、一から全部覚えて、常識の再構築が最初の仕事だった。

周りの人たちは全部、ちゃんとした人達ばかりだったので、皆親切に教えてくれた。

教えてくれないものは、見て覚えた。

皆が皆、仕事をちゃんとする為に、一定のルールの中で、ちゃんとした商売をしていた。

そりゃもうあんな場所で働いているんだから当たり前の事だろう。

完璧に出来上がっていた。

その中で完成度の低い我々は苦戦することになるのだが、まあ、職種が違うので当たり前の事だろう。

 

一流の建築士が一流の図面を引けたとしても、一流の大工の真似事は出来ないように。

一流の音楽家が、一流のスポーツ選手ではないように。

一流の棋士と一流のフュギュアの選手が別人のように。

 

求められるスキルが違うのだ。

 

スキルは違っても応用は効く。

他で培ったノウハウは生かす事が出来る。

 

例えば、俺が文章を読みなれてて書きなれているからすらすらと苦も無く長文を量産できるように。

 

俺が、仕事場に来る人の多さに呆れていると、一緒に働いていた人が

「普通の人は休日になると何処かにお出かけするんですよ」

と、どちらかというとインドア派に所属する俺に呆れたように言っていた。

生きる事に対する目的、求めているものが違うので一概にはそう言えない。

年末の東京ビックサイト行ってみろコラア、と言い返したかったが、そもそも8月と12月に東京ビックサイトに行っても特にやる事が無いので、行った事が無いのは内緒だ。

 

価値観、価値認識、生きる事に対する目的。

何がしたいのか、何を求めているのか。

 

楽しさ、気持ちよさ、居心地。

愛しさと、切なさと、心強さと。

 

……最後のは違います。

 

 

最初は点だった。

 

 

点は増えれば線になる。

 

_

 

線が増えれば三角に。

 

 

そして四角をへて。

 

 

立方体になり、面積が増え続ける。

 

まさかあの町でランチを食べて千円切るとは想像してなかった、当然ながら味もいい。

当たり前のことだが、経験しなければ知りようもない。

 

した方がいい経験と、しない方がいい経験。

特になる経験と特にならない経験。

俺の飲酒は特にならない経験。

スイッチには、普通にオンオフ可能なスイッチと、一度入れると壊れて戻らなくなるものがあるのです。

そういうスイッチにはなるべく最初から触らない方がいい。

 

家に炊飯器が無いからお鍋でご飯を炊くんです。

そう言っていたあの人は、もうご飯を炊いたのだろうか。

 

人はいる、溢れる程に。

今日もあの場所でも、遊園地でも、行楽地でも人が溢れている。

 

縁。

 

繋がり。

 

人は生きる、人と生きる。

 

人が一人では、生きる事は難しいから。

 

色々な人がいる、今日も何人か生まれ、何人か死ぬのだろう。

確か神話では1000人死んで1500人生まれるのだったか。

 

久々に、文章を書いた。

書く時間も、余裕もなかった。

まだ少し、疲れている。

 

歩き続けて何処まで行くの。

 

昔、小林幸子がうたっていた歌。

 

本当に、何処まで行けばいいんだろうか。

本当に、遠い所まで来た気がする。

 

体はいつもと同じ場所。

心の場所が違うのだろうか。

気持ちの位置、経験値。

 

思えばいつもはぐれメタルばっかりと戦ってた気がする。

逃げ出さないはぐれメタルと。

今回のはメタルキングだった。

毎日逃げ出さないメタルキングを1ポイントづつ削って、倒せる日と倒せない日があった、翌日もHPはそのままだったから気が付いたら倒していて、すぐに新しいメタルキングが現れていた。

偶には起き上がって仲間になりたそうにこちらを見ていたりするが、

面倒なのでいつも「いいえ」を選択している。

 

そんな生活。

 

この世界には秘密がある。

 

知っている人間と知らない人間。

 

事実がある。

事実は事実だ。

 

それに対してだから何?オチは?

それを求めるのはナンセンスなのかもしれない。

人は答えを知りたがる。

何かに対しての答えを。

 

答えなんて無いのに、事実しかないのに。

 

確かにオチがあった方が面白いが、面白いかどうかなんて感情のひと振れにしかならない、確かに感情が振れるのは大切だと思う。

プラスの感情が振れると日常が鮮やかになる。

ただそれだけの意味で。

 

昔、感情が死んでいた男は、そう、思う。

 

全ては、総轄的に、均一的に、同じなのだ。

あえてわかりやすくするために、分類し、区分される。

他人と共有する為に。

 

自分で理解するだけならば、分ける必要などひとかけらも無いのだから。

 

世界はきっと、そういう風にできている。