客観的な自己認識と自己的な自己認識について。
自己アピールって結構大切ですよね。
何だろうな、今までの人生そんな事一切やってこなかったんですよ。
気力が無さ過ぎて。
他人にどう思われてもいいって奴でして。
他人にどう思われてもいいってことは、自分自身の自己分析すらまともにやっていなかったんですよね、最近気がついたんです。
自分は何が好きか。
どの芸能人がどんな風に好きか。
どの漫画のどんなところが好きなのか。
好みの女の子はどんなタイプなのか。
あのエロゲのどんなシナリオが良かったからその作品が好きになったのか。
一つも具体化をしていなかったのでありません。
ふんわりとしたカテゴライズで「あの辺が好きなんだなあ」ってモノはあるんですけれども。こだわりも、他人に伝える気も皆無だったのでそんな事を考える必要が無かったんですよね。
他人にどう思われてもいいって事は、他人と共有する何かを持つ気が皆無だったって事。当然、会話なんてろくにした事ありません。コミュ力激低……だと思ってました。ましたです、はい。
最近、色々と楽しい事をして気力が溜まってきたので、いっちょ彼女でも作ってみっかー! と外見磨きに美容院行って髪切って来た訳ですよ。
美容院って言ったらあれですよオサレ系な人が髪を切りながら雑談してくるという、コミュ症にとっては死地のような場所じゃないですか。
そんな場所で普通にオサレ系なお兄さんのアシストもありながら、普通に一時間半ぐらいの間、雑談出来たんですよ。オタトーク無しで。
終わってから、暫らく歩いて何時ものスーパーで買い物してる時に「アレ?」と思いました。
俺、コミュ障じゃなかったかな? と。
コミュニケーション障害。
最近流行のお病気です。
「じゃなかったかな?」とは美容師さんにどう思われているか、じゃなくて、
俺自身が自分自身をコミュニケーション障害だと思っていた、と言う事です。
そう言えば俺って今まで気力がなかった上に、会話のない家庭で育てられたので喋るような機会自体が無かったんですよね。
機会自体ないって言うのは、アレですよ。
複数人会話だと、自分が喋らなくても誰かが大体返事をするから会話自体は進行するじゃないですか。で、気力が無いから会話に参加する気が起きない。だから黙っている。
個対個の会話だと必然的に自分が返事をしなくちゃいけないから、仕方ないから気力が無いゆえ面倒臭そうに返事をする。そして続かずに会話終了。
かなりの悪循環。
会話するのに気力が必要だと言うのは地味に大きな発見でしたが、未経験であるので自分が得意なのか不得意なのか分からない物がある。という発見も大きなものでした。
この前知り合いに「お前は慎重だ、もう少し自分から動いてみたらどうだ」まあ、そんな感じのことを言われたわけですけれども。
気力がないと動けないんですよね、というより動く気が起きない。
だから動かない、だから動き方すら分からない。
悪循環としか表現できません。
気力って大事です。本当に。
まあ、主題に話を戻しますと、「自分が思ってる自分」と「他人が思ってる自分」って結構食い違ってると思うんですよ、最近。
『自分』は自分の情報を自分の知っている限りでしか分かりませんが、
『他人』は自分の情報を他人の知っている限りでしか分からないんですよね。
何が好きで、何に興味があって、どんな性格なのか。
基本的に視覚情報以外のものは、その人間が外にアウトプットしたものでしか判断が出来ません。
会話だとか、文章だとか、ブログも、フェイスブックも、ツイッターも。
アウトプットした機会も回数も少なければ、自分自身ですら自分がどんな人間かが分からないんですよね。
インターネットが普及する前は会話と文章だけでした。
今は数え切れません。
だから、アウトプット、始めようと思います。