息の抜き方が分からない。
最近息の抜き方が分からない。
マジで。
気が付けばジャズを聴きながら業界の専門用語集と、現在の自分の欠点のカバーが可能なビジネス書ばかり読んでいる。
その事に気がつくには、なんかイライラしながらゴールデンウイークの2日目を最近の傾向である、自分の成長に役立つ趣味を終えて暫くしてからの事であった。
趣味を終えてから少し考えた、今日はウォーキングの日であった、テンションは確かに上がったし同時に体力と気力の成長も期待でき、ダイエット効果もある、その上時間は掛かるが金はほぼかからない、その上好きな曲を好きなだけ流しながら歩く事ができる。
我ながら素晴らしい趣味である。
だが、俺自身はこの行為を純粋に、心から何の一点の曇りもなく、楽しんで行っているのか?
そう考えると疑問符しか浮かび上がらない。
いつから俺は楽しむことを忘れているんだろうか。
いつから俺は息を抜けなくなってしまったのだろうか。
数年ぐらい前の酒に溺れながら、パソコンの前で好きなエロゲや、漫画や、再び観始めたアニメの情報を調べたり、実際に楽しんでいた時の方が気は楽だった、そして圧倒的に楽しかったように思える。
いや楽しさは同じだ、唯、楽しさのベクトルは180度ぐらい違う、そう思う。
何が違うのか。
恐らく、成長に効率を求めるようになってしまったからだ、そう思う。
効率厨になってしまっていた。
いや違う、地べたを這いずり回るような努力もしつつ最大限の効率を求める唯の成長厨。
今の俺は努力厨と効率厨の掛け持ちなのだ、恐らくは。
毎日を全力で過ごして、全力で成長する為に、気が付いたら休む事なく階段を登り続ける事が当たり前になっていた。
しかも、その事に気が付いて居なかった。
恐らく制御が効かなくなってたのだろう、自分の自分に対する期待値の大きさと、何となく感じる周囲の不安と期待が入り混じったような好奇の視線に。
年が明けた頃から何となくその傾向は見えて居た、けれどもここまで無駄に意識が高くなるとは思いもしなかった。
このままこれを続けてしまうと、多分、自分自身に自分自身が押しつぶされてしまう、そんな気がする。
手を抜ける場所は抜かないと死ぬ。
恐らくは。
だからたまの休暇ぐらいはゆっくりと過ごそうかと思う。
……ゆっくり過ごすって、そういえば何すれば良いんだっけか。
だったらそこから始めよう。
それで良いのだ。